「羊と鋼の森」(宮下奈都)を読んで
こんにちは。
今日は、2016年に本屋大賞になった,「羊と鋼の森」を読みました。
あらすじ
高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく---。一人の青年が成長する姿を温かく静謐な筆致で描いた感動作。
本紙裏表紙参照
お勧めする方
主人公が、才能や素質のない自分に苦しむ場面が多々あり、現状、そういった状況に悩んでいる方には響くと思う。また、調律師という,(あくまで僕の主観だが)あまりよく知らないが、改めて聞くと、興味が出た人にもお勧めしたい。
感想
あくまで僕のこれまでの考え方によるけど、小説などの物語では、初めはひよっこだった主人公が、だんだんと成長していき、唯一無二の存在になっていくような作品が多いように思う。
しかし、この作品は、そこで終わらせず、主人公のもがき,苦しみに焦点を当てて、読者の心を揺さぶってくるように感じた。
主人公の外村は、高校二年生の頃、たまたま教室に残っていたから、という理由で、調律師の板鳥と出会う。
それから、調律師を志し、2年間調律師の専門学校へ行き、実際に板鳥のもとで働き始めるまでは、淡々と進み、それから、その店で新人の調律師として働く場面に焦点が置いてある。
実際、外村はもともとピアノを弾いたことはなかったが、このことがきっかけで、調律師を志した。
素人の僕には、表面だけしか理解しきれていないと思うが、そんな僕でも、ピアノの音をそろえるだけではなく、そのピアノで弾く本人の要望や、気持ちよく弾かせるための調律ということの難しさはよく分かった。
また、初めの方で言ったように、文中では、あくまで、外村には特別な才能があるわけではないと断言されている。
やはり、「才能」があるに越したことはないし(そもそも、才能についてよく分かりません)、それならば、自分の何を信じればいいのか、という気持ちになると思いますが、
「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。」
(本文p246参照)
と、外村は考える。
正直、外村の努力はすごいと思うし、そこまですれば、才能,素質なんて関係ないんじゃないかとも思ったのですが、調律師は、あくまで、ピアノを弾く方を支えるもの。
良しあしは、調律の依頼者が判断するものであって、実際、外村も何回か担当替えを食らっている。
しかし、外村のいいところとして、まっとうに育ってきた素直な人と称されていて、根気よく、一歩一歩前に歩いていくことが、これからの外村の道をつくっていくんだなと思いました。
終わりに
「本屋大賞受賞作」という帯と、多くの人が買ってるんだなという理由でこの本を読んだんですが、外村君から得られるものはあったと思います。
単純に、才能がどうとかいうような人間にならないように、精一杯の努力をしていきたいと思いました。
では。