少しだけ、歩く

ゆる~く、自己成長につなげたい。雑記。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」(若林正恭)を読んで

 若林の新作の本が出ていたので、購入。

 

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 前回の「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を読んでいたので、また若林の本が読めるな~と、内心テンションを上げ、購入。

 

 今回の本は、若林のキューバ旅行記だ。と言っても、ちゃんと若林らしさのある内容となっているので、ご安心を。

 

 読み終えた今、「キューバに行ってみたいなぁ」と思えたので、買った分の元手は取れた気分。

 

 あまり外国に行ったことがないからかもしれませんが、日本っていう国で縮こまって生きているなぁと実感(小並感)。

 

 闘鶏場なんてあるのか。一回見てみたいなと思った。

 

 所々で出てくる、キューバの街並みや写真を見ると、何となく、いろんなことから解放された街のようで、心を揺さぶられた。

 

 前作や、アメトークで若林を見たりして、何となく気に入っていたので、これからの動向にも期待。

 

 では。

「砂漠」(伊坂幸太郎)を読んで

 一昨日、伊坂幸太郎さんの「砂漠」を読み終えました。この本って、確か2年前ぐらいに買って、約500ページ中300ページ読んで終わってたんですよね…。

 

 ミステリーなどとは違って、軽く言うととある大学生たちの4年間の軌跡的な話なので、途中で投げ出してしまっていました。

 

 積読を消化するにあたって、そろそろ読み終えようかなと思ったので、今回、読んでみたわけです。

 

 僕自身、全く読まない人と読む人の中間にいるようなもので、伊坂幸太郎さんの本は、初でした。

 

 秋の章から読み始めたのですが、それまでに印象に残っていたのは、鳥井の左腕がやられたことと、西島の行動が、一般人の思考とは違ってたことですかね。鳥井の左腕の件は、この本の後半で、一応納得のいく形で終わったのでまあ良しとします。いやー、しかし、正直、左腕をなくすということ自体、僕にとって衝撃的すぎるんですが、本の後半の鳥井の飄々と見える様に、強い人間だなと感心しました。

 

 触れてなかったですが、始めに書いた「大学生たち」っていうのが、北村,鳥井,西島,東堂,南の五人で、前三人が男で、後ろ二人が女です。

 あと、印象に残ったのは、何で東堂が西島のことを好きになったかというところですね~。

 東堂は、美人で、かつあまり感情を表情に表さないタイプの人で、それまでにも、多くの人に好意を寄せられていたんですが、入学当初から西島のことを好きだったようでした。

 まあ、全くわからないというわけでもありませんが、そういう東堂だからこそ、周囲の人とは違って、ちょっと変わっている西島といることでいい刺激になっていたんでしょうね。

 

 とまあ、こんなところで終わっときます。

 では。

「夕映え天使」(浅田次郎)を読んで

 ちょっと、気になる本の積読がみ目立ったので、気を入れて読んでみようと思い、まず、「夕映え天使」を読み終えました。

 

 前々回ぐらいの「特別な一日」についての記事の時にも書きましたが、記憶している限り、センター試験の国語の問題で「鉄道員(ぽっぽや)」を題材とした問題があったのは覚えています。

 

 読みたい本のジャンルは、本屋に寄った時の心境にもよりますが、このとき、九州から大阪へ一人旅していた時に寄った本屋で見つけ、心寂しさを振り払ってくれるような表紙に一目ぼれして買ったようなものでした(といっても、読んだのはついさっきですが)。

 

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 六篇の短編小説からなっていて、最後の解説まで読むと、おそらく、自分の人生と少なからず重ね合わせて書いているのかなと思いました。

 古い文体の本を読むのが苦手なんですが、気兼ねなく読めました。そうはいっても、2000年以降の話が書かれている「特別な一日」が一番読みやすかったなとは感じますが(笑)。

 

 「切符」では、内容もさながら、昭和の町の雰囲気を、平成生まれの僕も感じられ、いいなぁと思いました。

  「琥珀」では、薄々、捕まえないんだろうなとは感じていました。荒井が妻を殺した真相は分からず、そのあいまいさが、焦点を当てるべきではない生々しい部分をうまく濁しているんだろうなと思いました。

 「夕映え天使」は、純子の自殺という出来事をめぐって、全く関係のなかった関西弁の男と純子をなくした者同士のやり取りが印象に残りました。

 「丘の上の白い家」は、清田と共に自殺しようとした百合が、それ以降、どのような気持ちで生きながらえたのかなということが気になりました。といっても、あまり追及しても味気ないかなとも。

 「樹海の人」は、正直、樹海にいた,主人公の言う「将来の自分」の役割について理解しきれなかったので、気が向いたら、読みながらそれについて理解しようと思いました。

 

 こんな風に、時々、読んだ本の感想書きという、ブログの記事の量増しともいえることをやっていこうと思います。

 

 では。

なんとなく

 5月ごろに、大学の授業で、ストレングスファインダーの性格診断?テストを受けたんですけど、正直、当てはまる項目の予想が容易すぎてがっかりした覚えがあります。

 

 基本、インドアでネガティブな思考が多いので、特に、人付き合いに対して難しさを感じるんですが、そのテストでも、内省的やらなんやら書かれてあって、そんなことは分かってるんだよと思っていましたが、このことに対して、自分を卑下するのは違うのかな~と。

 

 こういうテストを受けた後に言われるのは、それぞれの個性に優劣はないやらなんやら。こういう性格なので、そういわれても…。という気持ちになって、さらにどぶにはまることも多々あるんですが、でも、周囲の環境やら、考え方のの流行性やらからは逃げられないので、しょうがないんだろうななんて考えたり‥‥。

 

 そういうことも、自分のプライドが高いからこそ、他者と比べてしまうんですが。

 

 

 とまぁ、適当に思ったことを連ねたんですが、いたって人間的だと割り切って生きていこうと思います。

 では。

 

「映画館という空間」(超短編エッセイ)

お題「何回も見た映画」

 

 今日のお題スロットから出たお題は、「何回も見た映画」

 

 タイトル:映画館という空間

 非日常を感じることができる場、映画館。やはり、普段、何気なくつけて見るテレビとは違い、何か、特別な空間にいるということを感じやすい。

 

 だからこそ何だろうが、映画館では、感受性がやや強くなっているように感じる。

 いつもとは異なる空間にいるという、ちょっとした高揚感,迫力のある映像…。それらが重なって、ある意味、日常的に感じているしがらみや常識を少しの間、忘れさせているんだろうなんて考える。

 

 では、普段から、あの空間にいるような気持ちで生活をしているかというと、違う気がする。でも、日常生活で、ほんの少しでも、そんな気持ちを思い出してみれば、何か、目の前がすっきりするような、しないような…。

 

 書いてて思ったんですが、あまりお題と関連していませんでした。あと、お題を見て、無理矢理にひねり出しているので、僕なりに大変な気持ちで書いていて、しかも、内容も、エッセイもどきみたいな感じなので、何とも書ききったという気持ちが起こらないんですよね…。

 

 では。

超短編小説(エッセイかも)(お題:好きなゲーム)(part3)

お題「好きなゲーム」

 

 昨日、ブログを更新しなかったので、継続日数がまた一からになりましたが、もういっそ気にしない方がいいのかな~と思い始めました。どうも。

 

 では、本日、お題スロットから出たお題は、「好きなゲーム」

 

 

「 ゲーム。

 それは、自らが、明確に主人公になれる遊び。ゲームが子供の中で流行るのは、おそらく、自分が主人公として、日々の生活以上にスリリングになれるからだと思う。特に、幼少期なんてのは、自らが目の前の世界の主人公と思いがちで、だからこそ、夢中になれるのだろう…なんて考えてみる。

 

 しかし、大人になると、ゲームをする人々としない人々、二つに分かれる。

 

 ゲームをしない人々は、年を重ねるにつれ、目の前の世界における役割が重くなり、その世界の一員としての役割を果たすことで、幼少期のゲームというものを必要としなくなるのだろう。

 

 あるいは、いっそうゲームにはまる人々もいる。現実から乖離しているからこそ、ある意味別次元として、主人公としての道を歩むことができるからだ。

 

 どちらが良い・悪いなんてのは、判断できないし、誰しも、たかが一人間が、決断を下すべきではないと思う。

 

 要は、幼少期に等しく持っていたその欲求をどのように果たすかだと思う。優劣なんてのはないが、己の中に少しでもそういった気持ちがあれば、そこから目を背けてはいけない。おそらく、生涯、自らの視点で見た世界では、自らが主人公であるはずだから。考えようによっては、それが、今の自分の活力になるのだから…。 

 

 小説とエッセイの境目を行っている感じだなといつも感じるんですが、あくまで書く練習なので…。

 

 では。

「夕映え天使:特別な一日」(浅田次郎)を読んで

 ついさっき、浅田次郎さんの「夕映え天使」を読んでいたんですが、その中の一遍の「特別な一日」を読んで、僕にしては衝撃を受けたので、ちょっと書いていこうと思います。

 

 作者の浅田次郎さんですが、確か、数年前のセンター試験の国語にポッポヤが出題されていた記憶があります。そのときは、純粋に、センター試験の国語の小説として、良い題材だなと思ったような。純粋に、読みやすかったし、人情味のある内容だったと思います。

 

 話の始まり方は、それまでの章とのように、人情深そうな内容だなと想いながら、楽しみにしながら読んでいました。

 話の主人公は、60歳の男の人で、ある会社の部長です。37年間勤めあげた会社への最後の出勤日,彼は、その一日を「特別な一日にしない」と心に決め、会社の部下や、長年の腐れ縁の社長、過去に不倫関係にあった女などに別れの挨拶を告げ、また、帰りには、たびたび訪れていた居酒屋で、それまでの思い出を少し振り返るシーンなどがあり、こういう話もいいなとしみじみしていたんです…。

  家に帰り、母子に迎えられ、これまでの会社員としての区切りを告げるんだなと思っていました。

 ところが、天皇玉音放送が始まるというニュースが入ったところで、何やら違和感が…。実は、その日、超巨大高速彗星が衝突するということが、三年前からわかっていたようで、あえて、その日を「特別な一日にしない」ということが決められていたようです…。

 

 いや、まさか、これまでの流れで、こんな叙述トリックがあるとは思わなかったです。読みながら、「えっ」って言葉が出ちゃいましたよ。そういった状況であることも踏まえて、それまでの登場人物の行動や言葉を見返すと、何とも言えない悲しさが。

 

 その日は、会社を退職する日ではなく、本来ならば、あと三か月はあったそうな。

 

 結局、最後まで、これから地球が滅亡することに対しての登場人物の不安のようなものは一切出てこず(ひょっとしたら見逃してるかも)、もし、こんな風にどうしようもない事態に陥った時は、こんな風に、「特別な一日にしない」というのもありなんだろうなと思いました。

 では。