僕の人生観、死生観について
こんにちは。
今日は、ここ最近、悩みに悩みまくって、このままじゃストレスで禿げるんじゃないか?くらいに悩みまくった、人生観、死生観について書こうと思います。
なぜ、これについて深く考え始めたか?の根本的な原因を辿ると、1ヵ月前に突然目の前に現れた、彼女が欲しい、という、とても些細なことでした。
このまま何も行動しなければ、彼女がいないまま20代前半を終えるのかー、なんてことを考えだし、突然、自分の現状に不安を感じ始めました。
もっと根本的な原因は研究室の問題になるんですが、ここは割愛。
そう思い立ってから、自分なりに、彼女を作るための行動を人生初めてするようにし始め、その行動がなかなかうまくいかないことを学び、それなら次は…といった感じで行動した結果、どんどん負のループにはまっていきました。
それと並行して、ブロガーのマナブさんのYouTube動画を見て、20代前半までにお金を副業の形で稼げるようになりたい、と思い、ここでも、ストレスのたまる日々。
また、普段の僕ならしないような行動量を行っていたため、それもストレスに。
人間って、変わろうと思えば変われると思いますが、果たして、変わる必要があるのか…?
そして、ここ最近では、2045年問題についてYouTubeで学び、今後の世界がどうなっていくのかを考え始め、また、この時代に生まれた自分って何なんだろう…?みたいな、完全にスパイラルに陥ってしまっていました。
と、ここまでが、僕がここ最近で悩んでいた原因ですかね。まぁ、挙げだしたら止まらないですが。コロナウイルスで良くない流れができているとか。いつまで今の生活を続けることができるのだろうか?とか。
と、色々考えた末に、人間の死について、自分なりに考え耽っていました。
正直、人間なんて、たまたまこの時代に生まれて生かされているだけで、何の大義もないのに、何で生きる必要があるのか?とか、天国や地獄、幽霊なんてものは現時点では非現実的すぎて何も考えられないので、おそらく、生まれる前みたいな無に返るんだろうな、とか、なら、この世界で努力する意味あるん?とか、皆死ぬんだったら、それはそれでいいな、とか、もうよく分からないスパイラルに。
で、今の僕が出した結論は、まぁ、(自分なりに)一日一日を大切に生きて、いらない後悔をしないことかな、という結論に至りました。
おそらく、明日もまだ僕は生きているし、それならば、楽しく生きるしかない、という、至極当たり前の結論に至り、まぁ、これも人間の性かな、とも思います。
時の流れは残酷だと思います。
だけど、それはあくまで現代に生きる人間の価値観において、そう思うだけで、そんなもの、この宇宙からしてみればなんとちっぽけなものか。
それに、現代に生まれたからこそ、見れる世界が近々来るかもしれません。
それが、2045年問題における、シンギュラリティです。
きっかりこの年に起こるとは限りませんが、やはり、シンギュラリティはいつかは達するものだと思います。
そうなると、これまでの人間の価値観では全く測れないほどのとてつもない変化が起こるでしょう。
ひょっとしたら、人間という存在自体が変えられるかもしれないし、生死についても変わると思います。
2045年に起こるとして、順調に生きていれば、その頃は47歳。
おそらく、その頃の日本の平均年齢にも達していません。
今ですら、人生100年時代と言われているのですから、その頃には人生150年時代、なんて言われていても全くおかしくありません。
指数関数的に技術は進歩し、人間の臓器も簡単につくられるような世界。細胞の若返りを果たし、不老不死すら可能にもなりうる世界。
そのような時代を生きる可能性が我々の世代は高いです。
博打みたいなものですが、その博打が打てるだけでもいい時代に生まれてきたな、と両親に感謝です。
その上で、今の自分ができることは、やはり、日々を精一杯生きて、来るべきその日をのうのうと待つことぐらいです。
また、そのような世界に至ると、子供を産むという概念すらなくなる可能性も高いと思っています。
正直、僕自身、感化されやすいタイプなので、数日後にはここに書いたことが黒歴史となって消す可能性も高いですが、ノストラダムスの大予言よりは可能性のある話だと思っています。
ふと気づいたら、もう2000文字近くただだらだらと自分語りをしていました(笑)。
もし、何か質問や考えを共有したい、などがあれば、TwitterのDMにでも送ってください。
とりあえず、精一杯生きましょう。
では。