年間200冊とか300冊とか本を読む人って、この世に存在しない説(個人的意見)
単純に疑問なんですが、twitterとかのプロフィール欄に、「年間300冊」だとか書いている方がいらっしゃるじゃないですか?
さすがに多すぎやしませんか?
僕も、一応、高校生の頃から極力本を読むようにはしているんですが、大学生の今でも、100冊なのに…。
一日一冊ペースで本を読んでいる方って、ニートか、自分の時間を全振りしているとしか思えません。
ひょっとして、世に言う「速読」ってやつか?そうなのか?
まぁ、言えることは、やはり、読書をただの「手段」のように扱うことはもったいないということですかね。←絶対どこかで聞いたようなこと
例えば、自分の見識を広げたい人とか、興味のある分野について詳しくなりたいというような方は、一番の目的は、本の内容を学んで、自分の生活に直結させたいということだろうし、○○という作家さんの本が本当に大好きなんです!という方は、その作家さんの本のストーリーや,言葉遣いや,小説から感じ取る哲学などを身に沁みさせることが一番大事で…。
要するに、僕自身、年間何冊本を読んでいるかなんて気にせずに、読書を鹿野〆代(←「楽しめよ」って打ったつもりなんですが、「かのしめよ」になっていたらしく、たまたま面白い変換だったのでこのままにします)
正直、大学生の今、少し、焦りを感じているんですよね。何となく。
もっと、何かできることがあって、現状、その努力・行動を怠っているんじゃないかなって。
一番わかりやすいものは、やっぱり、目に見える数字だし、多分、そのおかげで、これまでの勉強もやってこれたんですよね。
でも、これからは、決して目に見える数字だけを追いかけていては、そこから派生していくものが少ないのではないか…?と思うんですよね。
要するに、僕自身、年間何冊本を読んでいるかなんて気にせずに、読書を鹿野〆代(←「楽しめよ」って打ったつもりなんですが、「かのしめよ」になっていたらしく、たまたま面白い変換だったのでこのままにします)
僕の中では、読書って、半分義務で、半分好奇心なんですよね。
だから、時々、自分の中で、「いや、これは、読むべきだから、読もう」とか、「この本は、本心から楽しんで読もうとしているんだろうか…?」とか、葛藤が起こるんですが、多分、中途半端にまじめだからなんでしょうね。
心から、その物事に打ち込むのって、結構難しいと思うんですよ。あ、今度、このことについて記事書こう。
世の中には、そのことについて、本気で取り組み、かつ、自分の生業にしているような方々もいる。
しかし、その物事に関わる大半の人は、熱意も、努力の量も、一部のトップの方々には、劣ってしまう。
そのうえで、「心から、その物事に打ち込んでいる(○○が好きなんです!)」と言えるかどうか…?
うーむ。これに関しては、考えすぎかな。どうせ、多くの人間は、打算的に生きているんだし、今更こんなことをいちいち突っ込むことでもないか。
とりあえず、数字にとらわれないで、自分にしかない,ひとかけらの興味を大事にして、これからも、人間の文化である「読書」をたしなんでいこうと思います。
では。