少しだけ、歩く

ゆる~く、自己成長につなげたい。雑記。

「漁港の肉子ちゃん」(西加奈子)を読んで

 初バイト代が待ち遠しい今日この頃。今日こそは、ブログを更新していきます。

 

 今日は、「漁港の肉子ちゃん」(西加奈子)を読みました。久々の西さんの作品。

 

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 タイトルと絵のインパクトがありすぎて、何となく読むのを敬遠していたんですが、このたび、図書館で借りて、読みました。

 

 タイトルにもある肉子ちゃんは、どうしてそこまで…というほど、元気で、ある意味、周囲に元気を与えるような人。

 また、肉子ちゃんと一緒に住んでいる小学五年生のキクりん(本名は、喜久子)。

 

 彼らが、とある漁港で生きていく物語なんですが、あらすじ書きが下手なんで、解説書きを引用すると、

 「肉子ちゃんと港町の人々の息遣いを活き活きとしたまま閉じ込めた物語であるとともに、ありのままでいたいという気持ちと、それに抗おうとする自意識を同時に抱えたキクりんが、様々な出来事を通じて成長していく話でもある。」

ということです。

 

 中途半端な人間として生きていくよりは、肉子ちゃんのような人間に憧れるのは、僕自身が、現状、中途半端な人間だからだろう。

 周囲への気遣いなんてものと全く縁のない肉子ちゃんのような人間が存在するのが可能なのは、ある意味、小説の中だからであって、だからこそ、このような小説を書いてくれる西さんは、とても偉大な方だなと、今更ながら思いました。

 

 話は変わりますが、男なんで、詳しくは分かりませんが、キクりんたちのクラスのような状態って、生きていれば、何となくわかります。ある程度固まった環境(学校やら職場やら)に属していれば、自分が装わなければいけないキャラや、ふるまい方がだんだん身についてきて、それに従えない人は、疎外される。

 個人的には、世の中で一番変えたいことですね。まあ、そのための努力を何もしていない僕からすれば、専門家の方々に失礼ですが。

 

 キクりんが、肉子ちゃんが自分のクラスにいたならばどうするだろう…みたいな考えをしている場面がありましたが、蛇足なんだろうとは思いますが、肉子ちゃんの子供の頃の生活を見てみたかったですね。勝手に想像しときます笑。

 

 キクりんの周囲で動物がしゃべっていた(と思われていた)場面で、単純に、そういう特殊能力があるんだなぁ…と思っていた僕がいたことは、恥ずべきなんでしょうか?

それとも、僕の頭が単純すぎるのでしょうか?

 

 最後に、西さんのあとがきで、被災地における小説とひとつのおにぎりの価値の比較の話があったんですが、小説家という,僕にとって別次元の人間でも、己の自負に偏ることがあるんだなと思い、また、小説の中でも、子供らしさ,大人らしさなんてものはないみたいな話があったなと思い返しました。僕が勝手に像をつくっている節があったなと。

 

 また、この、「漁港の肉子ちゃん」を読んだということを記し、終えようと思います。

 

 では。