少しだけ、歩く

最近、YouTubeばかり見ている薬学生。雑記。

「ふる」(西加奈子)を読んでの感想。

 今日は、西加奈子さんの,「ふる」を5分前ぐらいに読み終えたので、その感想を書いていこうと思います。

 

 これまで、西加奈子さんの小説は、10冊弱ぐらい読んできましたが、いつも、僕の心に響くものがあり、最近では中村文則さんの小説と同じくらい読んでいます。今回の小説は、まず、帯の「「いのち」のことを書きたかった。」という言葉を見て、どんなふうな内容なのかなと楽しみにしながら読み始めました。

 

 実際に読み始めてあくまで個人的に思ったのは、主人公である花しすが、いつもの主人公よりも大分まともなように感じました。僕的には、かなり変わっている主人公が、自身と周囲との関係をどのように築いていくのか,また、主人公にどのような心境変化が起こるのかといったところを期待して読んでいるような気がするので、読むペースが少し遅くなっていたところもありました。しかし、読み進めるにつれ、何点かよく分からないものが出てきて、どういう役割をしているのかなと考えながら読んでいました。

それは、皆の体のどこかについている「白いもの」と、新田人生という人間と、花しすの,日常の会話を録音する癖です。

 おそらく、読んだ人は、皆同じような引っ掛かりを覚えているんだと思いますが(自分が読むのが下手なだけかもしれませんが)、まあ、最後まで読めば、「白いもの」と花しすの録音の癖がどういった役割なのかは書いてあるので表面上は理解できるのですが、新田人生については直接的には書かれていませんでした。なので、読み終えた直後の心境をもとに少しだけ考察してみようかなと思います。

 おそらく、新田人生とは、本来は新田人生という名前ではなく、花しすが生きてきた間で出会ってきた、名前を忘れてしまった人たちなのではないかなと思います(全く根拠はないですが)。で、小説の最後に自発的に録音機から話している新田人生たちの声は、あくまで花しすの頭の中での出来事としての声なのではないかなと思います。いや、でも、録音機を投げた時に壊れてしまっただけかもしれませんが。で、録音機を聞くことで、過去の自分の「今」を忘れないようにしていた花しすが、実際は、今の自分の中にもあるということを言いたかったのかもしれません。

 まあ、はっきりと言えることは、祖母,母と「いのち」をつないで今という先端にいるということでしょうか。そして、そのことを感じると、誰かを傷つけ、傷つけられても、それ自体が祝福されていることなんだと安心することができるということだと感じました。

 

 読んでいて理解するのが今の自分には難しい部分も多々ありましたが、何はともあれ、読み終えて得るものはあったように感じます。

 

 では。