少しだけ、歩く

ゆる~く、自己成長につなげたい。雑記。

なぜか、自分で自分のブログを読書登録できるっぽい… メリット・デメリット

 

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 「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

 

 ニーチェの言葉らしいです。

 

 ついさっき、自分のブログを自分で読者登録をできることに気づいてしまいました。

 

 ・・・。何のために必要なんだ?と思ったそこのあなた(僕も)!記事増ししたいがために、僕の考えるメリット・デメリットを書いていこうと思います。

 

 メリット

  まず、「購読中のブログ」の欄に自分のブログの記事が載ることで、客観的に自分のブログについて見られることですかね(適当)。他のブログと自分のブログを比較して、アイキャッチ画像や、ブログのタイトルについて、改めて考え直すきっかけになるかもしれません。

 

 デメリット

 ひたすら、むなしくなりそう…。

 もう、何のためにブログを書いていることやら。

 

 そんな暇があったら、ブログでも書きましょう。

 

 

 めちゃくちゃ適当な記事ですが、一応、なぜか、そんな機能?があることを知っておいても損はないでしょう。むなしくなるので、僕はやめときます。

 

 では。

「批判コメントが怖いから」とか「批判コメントが来たからブログ辞めた」って話があるけど、実際どうなんだろう?

 

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 こういうことを時々目にしますし、炎上系ブロガーさんたちも、話題として触れていることがあります。

 

 「批判コメントで悲しくなったから、ブログを続ける気が失せた」(いや、ひょっとしたら都市伝説かもしれません)

 

 今の僕の感想を書くと、批判コメントが来るような記事は恐らく書いていないからというのと、そもそもPV数が,ぎり2桁ぐらいなので、批判コメントが来たことはないので、一度は経験してみるのもありなんじゃないかと(←甘ったれている)。

 

 例えば、良いコメントいうのは、ある意味、人間なら誰でも(多くの人は)、書けると思うんです。お世辞という言葉もありますし。

 

 しかし、批判コメントというのは、僕の考えでは、絶対、精神力を使うと思うんです。する方が。

 

 あえて、そこまでして、そのブログに対して、気持ちをぶつけているということ自体が、ある意味、健全な討論のようなものではないかなと思います。

 

 おや。少し主旨と違う気もする。

 

 正直、僕も苦手ですが、特に日本人って、話し合いの場になると、あまり否定的な意見が出てきにくいような気がするんです。

 

 しかし、やはり、停滞ではなく前進するためには、道の先の障害物を取り除くためのエネルギーが必要であって、批判コメントは、ある意味、負のエネルギーとして、自分を今一度見つめなおすチャンスなんだと思います。(よっぽど、ただのいたずら書きのようなコメントでなければ)

 

 かの有名なイケダハヤトさんも、僕が彼を知った理由は、「炎上系ブロガー」という言葉に惹かれたからですし。炎上という項目も、一つのその人の特性として、十分成り立つんです。

 

 「出る杭は打たれるなら、打てないまでに出てやろう」といった趣旨の言葉があるじゃないですか。誰が言ったか忘れたけど。

 

 よっぽど、そのブログの主旨(その人自身)がしっかりとした芯を持っている場合以外は、少なからず必要なのではないかなと思いました。そして、それは、自分を成長させられるチャンスです!うまく、向かい風を味方につけましょう。

 

 では。

年間200冊とか300冊とか本を読む人って、この世に存在しない説(個人的意見)

 

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 単純に疑問なんですが、twitterとかのプロフィール欄に、「年間300冊」だとか書いている方がいらっしゃるじゃないですか?

 

 さすがに多すぎやしませんか?

 

 僕も、一応、高校生の頃から極力本を読むようにはしているんですが、大学生の今でも、100冊なのに…。

 

 一日一冊ペースで本を読んでいる方って、ニートか、自分の時間を全振りしているとしか思えません。

 

 ひょっとして、世に言う「速読」ってやつか?そうなのか?

 

 まぁ、言えることは、やはり、読書をただの「手段」のように扱うことはもったいないということですかね。←絶対どこかで聞いたようなこと

 

 例えば、自分の見識を広げたい人とか、興味のある分野について詳しくなりたいというような方は、一番の目的は、本の内容を学んで、自分の生活に直結させたいということだろうし、○○という作家さんの本が本当に大好きなんです!という方は、その作家さんの本のストーリーや,言葉遣いや,小説から感じ取る哲学などを身に沁みさせることが一番大事で…。

 

 要するに、僕自身、年間何冊本を読んでいるかなんて気にせずに、読書を鹿野〆代(←「楽しめよ」って打ったつもりなんですが、「かのしめよ」になっていたらしく、たまたま面白い変換だったのでこのままにします)

 

 正直、大学生の今、少し、焦りを感じているんですよね。何となく。

 

 もっと、何かできることがあって、現状、その努力・行動を怠っているんじゃないかなって。

 

 一番わかりやすいものは、やっぱり、目に見える数字だし、多分、そのおかげで、これまでの勉強もやってこれたんですよね。

 

 でも、これからは、決して目に見える数字だけを追いかけていては、そこから派生していくものが少ないのではないか…?と思うんですよね。

 

  
 要するに、僕自身、年間何冊本を読んでいるかなんて気にせずに、読書を鹿野〆代(←「楽しめよ」って打ったつもりなんですが、「かのしめよ」になっていたらしく、たまたま面白い変換だったのでこのままにします)

 

 僕の中では、読書って、半分義務で、半分好奇心なんですよね。

 

 だから、時々、自分の中で、「いや、これは、読むべきだから、読もう」とか、「この本は、本心から楽しんで読もうとしているんだろうか…?」とか、葛藤が起こるんですが、多分、中途半端にまじめだからなんでしょうね。

 

 心から、その物事に打ち込むのって、結構難しいと思うんですよ。あ、今度、このことについて記事書こう。

 

 世の中には、そのことについて、本気で取り組み、かつ、自分の生業にしているような方々もいる。

 

 しかし、その物事に関わる大半の人は、熱意も、努力の量も、一部のトップの方々には、劣ってしまう。

 

 そのうえで、「心から、その物事に打ち込んでいる(○○が好きなんです!)」と言えるかどうか…?

 

 うーむ。これに関しては、考えすぎかな。どうせ、多くの人間は、打算的に生きているんだし、今更こんなことをいちいち突っ込むことでもないか。

 

 とりあえず、数字にとらわれないで、自分にしかない,ひとかけらの興味を大事にして、これからも、人間の文化である「読書」をたしなんでいこうと思います。

 

 では。

初心者ブロガー必見!アクセス数が伸びないたった1つの理由!!                                        (釣り)

 

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 …ということを知っていれば、こんな風にだらだらとよく分からない記事は投稿していません。

 

 完全な釣り記事です。釣り記事になっているか知りませんが。

 

 この記事にたどり着いた方は、恐らく、ブログを始めて、「よーし、やってやるぞ~」と思っていたあの頃はどこへやら、全くアクセス数は伸びず、「僕(私)には、ブログは合わなかったのかな…」とか、「こんなのやってられっかよ怒」みたいな方なんだと勝手に予想。

 

 この記事を書いた理由は二つで、一つは、タイトル詐欺の記事って実際伸びるのかどうか?ということと、この記事にたどり着いてくれた方と鼓舞し合いたいなという気持ちで書いています。すみません。

 

 僕自身、日々、何でブログなんて書いているんだろう…という気持ちによくなるんですが、まず、単刀直入に聞くと、「あなた自身が、ブログを始めた理由は何か?」ということをはっきりと思い返してほしい。

 

 僕の考えとして、人が何かを始めるときって、周りに乗せられて始めるときと、自分の意志で始めるときの二つのパターンがあるんですよね。

 

 そして、分かると思いますが、やはり、後者が正しい(と思っている)。

 

 ブログを始める理由も、例えば、主婦の方だったら、「子供が大きくなる様子をブログという形で残したい」という方もいると思いますし、はたまた、イケダハヤトさんや、はあちゅうさんなど,ネットでの影響力の高い方々に憧れ、「いつか、こんな風な発言力を持ちたい」と思って始める方も多いでしょう(多分)。

 

 しかし、自分が知っているからといって、同じように実行できるかはわからないし、特に後者だと、もうただのミーハーなんじゃないかな、なんて思います←ブーメラン。

 

 ともあれ、まず、おそらく、ブログで大成するには、相当な努力が必要なのではないかということと、ここで逃げていいのか?ということですね。

 

 やばいぞ。話が全然まとまってないぞ。

 

 ブログを書くことって、うまくやっていかないと、ただただ孤独な試練のようなものだし、できるなら、困っている方々と、一緒に立ち向かっていきたいんです。本当に。

 

 もし、この記事を読んでいる方がいるんでしたら、読者登録をしてあなたのブログを訪れたいので、コメントにわかりやすいようにブログのURLを貼ってくれませんか?

 

 ん?もしや、こういう詐欺ってあるのかな?

 

 決して詐欺ではありません。単純に、ブログ仲間がほしいのです。でも、ブログ仲間の作り方がわからないのです。

 

 僕自身、弱小中の弱小ブログなので、できることは微力ではありますが、これからも細々と続けていこうと今の段階では思っているので、お互い、自分の目的のために、頑張っていきましょう。

 

 では。

今更、10年前のアニメ,電脳コイルを見ての感想

 

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 2007年5月12日から12月1日まで、NHKで放送されていたアニメ,電脳コイルを見ました!

 

 今から10年前、当時見ていた人にとっては、懐かしさを感じるにはちょうどいいんではないでしょうか?

 

 当時、父親が見ていて、何となく既視感を覚えるくらいには見ていた記憶があります。

 

 そのころは、まだ小学三年生。ポケモンダイヤモンド・パールが発売した年ぐらいですかね?

 

 今回は、今更、電脳コイルを見ての感想を書いていきます。

 

 簡単なあらすじ

 202X年。「電脳メガネ」と呼ばれる眼鏡型のウェアラブルコンピュータが全世界に普及して11年。「電脳」と呼ばれる技術を使ったペットや道具が存在し、インターネットも「電脳メガネ」を使って見る時代。
 主人公,ヤサコこと小此木優子は、電脳ペットのデンスケを飼う,小学六年生。金沢市から大黒市に引っ越してきた彼女は、この町で、謎の電脳生物,イリーガルに遭遇したり、祖母であるメガばあが創った,コイル電脳探偵局に入ることになったりと、目まぐるしい日々を送る中、ヤサコが転校してきた学校に、同じ読み名である,イサコこと天沢勇子も転校してくる。イサコは、キラバグと呼ばれる,電脳空間に影響を与える石,メタタグの中でも特別な石を必死に集めていた。果たして、彼女の目的とは?

一部引用 電脳コイル - Wikipedia

 

 「電脳コイル」という名前にたがわず、主に、電脳メガネを使って、話が進んでいきます。

 電脳メガネ…。早くできないかな…、なんて思いながら見てました。

 

 「電脳コイル」とネットで調べると、「電脳コイル 怖い」なんて出てくるぐらい、ホラーなシーンもあって、そこを考慮してみれば、なかなか面白いアニメなのではないかなと思います。

 

 「電脳」と聞いて、ソードアートオンラインを想像したなら、結構違う内容なんですが、その分、より現実味のある(比較した上でね)内容なので、近い将来,電脳メガネができてほしいな~と思いました。

 

 主に、登場人物が小学生なので、自分がそのころ、こんな世界に生きていたらな…なんて思いながら見るのもいいかもしれません。

 

 ただ、電脳メガネをかけた少女たちが、なんか滑稽だなとは思ってました(笑)。みんな変なメガネをかけてるのはね(笑)。

 

 序盤の学校内での話と、後半のシリアスな話の差があるなとは思いました。どっちかって言ったら、序盤の方が好みかな,こんな風に遊んでみたいし。

 

 なんにせよ、前から見ようと思っていたアニメをやっと消化できたので、すっきりしました。

 

 近未来系アニメかつ,よりファンタジー要素をなくした(いい意味で)アニメを見たいなら、このアニメを候補に入れるのもいいのではないでしょうか?

 

 では。

藤井聡太四段の強さについて,改めて知る 「中学生棋士」(谷川浩司)

 

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 昨年のユーキャン新語・流行語大賞の特別賞に、藤井四段の「29連勝」という言葉が選ばれた。この連勝記録は、30年ぶりの更新だそう。また、それをプロ入り直後からの連勝ということも、藤井四段の棋力を表しているのではないでしょうか。

 

 僕自身,将棋は少しかじった程度なので、ニコニコ動画の生放送を見て応援していた時も、正直、どちらが優勢かということはよく分からなかったんですが、中学生という身で、このような華々しい活躍を見せることの凄さは伝わってきます。

 

 今回は、そのような強さを中学生にして得ている藤井四段のことについて、より深く知るべく、「中学生棋士」(谷川浩司)を読みました。

 

中学生棋士 (角川新書)

中学生棋士 (角川新書)

 

 

 もし、この記事を、将棋について造詣の深い方が読んでくださっているなら、将棋初心者の戯言とでも思って読んでください。

 

 まず、この本の著者である谷川浩司永世名人も、中学生で四段へ昇級した,いわゆる中学生棋士の方で、他に中学生でプロ棋士になったのは、加藤一二三九段,羽生善治三冠,渡辺明竜王藤井聡太四段の計5人だそうです。

 藤井四段の30連勝を阻止した,佐々木勇気六段は、中学生棋士に続いて、6番目のプロ棋士入りだそうです。

 

 この本を読んで、まず思ったのは、「才能」とは何か?ということです。この言葉は、本文中にもたびたび登場しますが、藤井君が、5歳で将棋を始め、テレビゲームなどの類には興味を示さず、ひたすら将棋に打ち込んでいたということを知り、また、本文中の羽生さんの「才能」についての考えの通り,興味のある物事に対して、限りない熱量で努力できることが「才能」なのではないかなと、読みながら思いました。

 

 まだ、人生経験の浅い僕には、断言はできませんが、努力できるということ自体,やはり才能なんだろうと思います。

 

 19歳である僕が、これから何ができるのか、これから、どのように自分に対して努力していくのかについて、考える機会になると思います。

 

 また、これまでの中学生棋士の活躍を知ることで、これからの藤井君の活躍について、期待が膨らみました。

 

 聡明な藤井君であれば、問題ないと思いますが、一歩ずつ、自分を見失わずに、階段を上って行ってほしいものです。

 

 数えてみると、4歳差なので、勝手ながら、これからの藤井君の成長に押されながら、僕も成長していきたいと思いました。

 

 また、これをきっかけに、久しぶりに将棋を始めようかなと思います。

 

 では。

YouTube依存って、割と深刻じゃないか?という個人的議論

 

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 特に10代から大きな支持を集めている(と思われる)YouTube

 

 YouTubeが生活の一部となって、生活に支障をきたしているような方々も多いのではないでしょうか?

 

 今回は、未だにYouTube依存症から抜け出せないでいる僕が、だんだんYouTubeから離れていくために適当に個人的議論を交わしていく…誰と交わすんだ?

 

 ということで、適当に書いていきます。

 

 普段、少しの空き時間があれば、すぐにスマホYouTubeのアプリを開いてしまうんですよね…。

 これの対処法として、昨日、すぐに目に入るページから、アプリのアイコンを消しました。

 これによって、YouTubeを開こうとする時間の猶予ができ、思いとどまることができるんじゃないかという考えです。

 

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 前までは、google検索エンジンの真下に、YouTubeのアイコンがありましたが、跡形もなく消してやりました。メールが異様にたまっていますが、昔、変なサイトに引っかかって、迷惑メールがめちゃくちゃ来たんです…。よくあるんですかね?

 

 また、チャンネル登録という機能が、だらだらとYouTubeを見てしまう大きな原因だとも思います。

 チャンネル登録をすると、それ以降、意図せずとも、登録した人たちの最新動画が次々とアップされていくので、ホームの動画よりも、何となく見てしまうことが多いように感じます。

 これを阻止するために、時々、チャンネル登録の欄から、毎日見たい(アップされたときにすぐに見たい)YouTuberの動画以外は、できるだけ、断捨離してみるのもありかもしれません。

 多いときは、60チャンネルくらい登録していた僕も、今では、11チャンネルと、だいぶ減らしました。

 

 かの有名なホリエモンは、子供たちがYouTuberに興味があるなら、YouTubeを見せることには賛成だと聞いたことがありますが、10代の貴重な時期を受動的にYouTubeを見ることに費やすよりも、より、能動的に興味のあることに挑戦する時間の方が、有意義な過ごし方なのではないかなとも思います。

 

 まず、この記事を書こうと思った理由が、棋士の藤井壮太君が、5歳の頃からひたすら将棋にのめりこんでいたということを知ったこともあり、やはり、今は分からなくても、将来、自分のためになるような時間の使い方をするべきなんじゃないかなというのが、現段階での僕の考えです。

 

 一部の人たちは、いわゆるYouTuberとして、生活を賄える以上の広告収入を得ているようなので、全く意味がないとは言い切れませんが、だらだらとYouTubeを見ることに費やした時間について、のちに、後悔しないか、今一度、考えてみるのもありなんじゃないでしょうか?

 

 では