少しだけ、歩く

ゆる~く、自己成長につなげたい。雑記。

「桐島、部活やめるってよ」(朝井リョウ)を読んだ

 もう、11月末。年の瀬に差し掛かってますね。ん、年の瀬に差し掛かるって、表現として正しいのかな…。よく分からん。

 

 今月から、wordに読んだ本を記録するようにしてます(自己満足)。もともと、読書メーターを使っていたんですが、機種変更の時にアカウントがよく分からなくなったり、開くのが面倒になったりしたので…。

 

 と、今回は、積読の消化で、桐島、部活やめるってよ」(朝井リョウを読みました。

 

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 タイトルからして、青春小説であることは分かってたんですが、あんまり、そういう本は読んでないつもりなので、一旦置いてました笑。

 

 話の中で、直接的には、桐島君は出てこず、主に、桐島が部活をやめたことによる周囲の影響がストーリーの筋として書かれています。

 

 それぞれの章で、部活をさぼりがちな野球部や、吹奏楽部の部長、映画部部員などが、それぞれの視点で、高校二年生という,いわゆる多感な頃の学生としての生活を送っている姿が書かれています。

 

 一番気になったのは、高校という狭い世界で生きているからこその、カースト制が色濃く書かれていることです。自分が、正しいと思うことをそれぞれ持っているのにも関わらず、まるでそれが無意味かのように引かれる線。正しいはずはないのに、かといって、その輪を抜け出すわけにもいかない。

 

 途中で、本を投げたくなるほど、心がむずむずして、だんだんいやな気持になっていったんですが、最後の方は、割といい形で、「ひかり」を残してくれたんだな、と、朝井リョウさんに対して思いました。

 

 学生生活が様々な視点で、色濃く書かれているからこそ、その時期の学生が読むのはちょっときついんじゃないかな~なんて思ったり。

 

 個人的には、映画部の子たちや、菊池の今後が気になりました。自分の芯をしっかりとつくっていってほしいと思いつつ、僕自身も、負けていられないなと思える作品でした。

 

 では。

今さら、「君の膵臓をたべたい」(住野よる)を読んだ

 一昨日ぐらいに、後期にとるべき授業がとれてなかったという意味が分からない状況に陥ってしまいました。まぁ、専門科目はさすがにそんなことはありませんが、教養科目でやらかしましたね…。切り替えていきたいです。

 

 さて、今回は、今更ながら、「君の膵臓をたべたい」(住野よるを読んだので、感想書きとします。

 

 映画化もされているようで、よく名前を聞く本だったのですが、今年の4月ごろに文庫化していたようです。たまたま、この本を読んでいた同じ学科の子がいたので、借りて読みました。

 

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 まず、名前が印象的ですよね。「君の膵臓をたべたい」。一瞬、ホラー系なのかなとも思ったりして。ただ、表紙とあらすじを見た感じ、膵臓の病気にかかった女の子の病院での闘病を、男の子が見守るような話の類かな~と思っていたら、いい意味で裏切られましたね。

 

 あらすじ(ネタバレかも)

 友人や恋人などの関わり合いを必要とせず、人間関係を自己完結している主人公の僕。彼が、たまたま、病院の椅子においてある一冊の本,「共病文庫」を見つけたことによって、「僕」とは正反対の,元気いっぱいでクラスの人気者である山内桜良が膵臓の病気であることを知ると同時に、これまで関わることのなかった二人が奇妙な関係を築きながら、互いに自分の欠けている部分を持っているそれぞれに憧れを持ち、次第に心を通わせていきながら成長していく。

 

 主人公の「僕」の成長が著しくて、良き。二人とも、反対方向に偏っているからこそ、自分の悪いところがわかると同時に、そんな存在である相手に引き付けられるのかもしれませんね。もう本を返してしまったので、詳しくは言えませんが、「僕」が、人とのかかわりについての意味を理解するシーンは、よかったです。

 

 また、「君の膵臓をたべたい」というタイトルも、読み終わった今となっては、思っていたよりも深い意味が込められていたことが理解できました。気になった方は、近くの本屋へGO!

 

 また、ネタバレすぎるので、詳しくは言いませんが、桜良がまさかの終わりを迎えて、えっ、と驚いたと同時に、大事な教訓を教えてもらったような気がします。

 

 と、まぁ、こんな感じですかね。映画版のオフィシャルサイトを見ると、主人公たちの将来の話もあるようなので、機会があれば、近々見てみたいと思います。

 

 では。

今日(11/25)から筋トレをすることへの戒めに…

 自分への戒めとして、記録として書いときます。

 

 何を思ったか、「筋トレを始めよう。いや、始めるべきだ!」と思ったので、三日坊主にならないようにしたいなと思ってます。

 

 別に、マッチョになりたいとかじゃなくて、日々のルーティーンとして、意味のあることをしたいなという気分だったので…。

 

 最近、ブログを開いてすらなかったので、ここに書いとくのも無意味なのかもしれませんがね~。

 

 そんな感じです。

 

 では。

海辺のカフカ(村上春樹)を読んで 

 ここ数日、海辺のカフカ村上春樹)を上下巻、約1000ページを読んでました。

 

 一年前ぐらいに、上巻を60ページぐらいで読むのをあきらめて、積読処理のために読みだしたんですが、後からはまってきて、本屋バイトの時に下巻を買って、読み終えました。

 

 あらすじ

上巻 「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」ー15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ち出したのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケットライト、鯉スカイブルーのレヴォのサングラス。小さい頃の姉と僕が写った写真……。

 

 村上春樹は、「ノルウェイの森」を読み返したぶりですが、文章が読みやすいからなのか、すらすらと、世界観に入っていけました(前回、60ページでやめたくせにね)。

 

 主人公は、15歳の少年、田村カフカ。と、60を過ぎたナカタさん。(どちらも男)

物語の内容を少しでも書こうとすると、全部書かなければいけないような気がしてくるので、僕が気になった要所だけ。

 

 まず、時々出てきた、「世界で一番タフな15歳の少年になる」ということを、どう捉えるか。「タフ」って何だろうね。まず、肉体的な「タフ」なのか、精神的な「タフ」なのか。精神的なタフさって、ネガティブな部分を克服した先にあるんだろうというのが、ちょっとした僕の持論(っていうか、当たり前か)。そして、ネガティブな部分を克服した先のタフさって、誇るべきなのかどうか。

 

 小説の中で、少年が高松の山?の中の小屋でしばらく過ごすんだけど、そんな生活、してみたいな~と、小並感。

 

 終盤、佐伯さんという、おそらく少年の母親であるだろう人(読者の想像に任せられている)が、少年を、昔、彼女の恋人だった人が書いた絵を描いた?ような表現があって、よく分からなかったので、まだ理解が足りないなと。

 

 こういう感想書きって、下書きとかした方がいいんだろうけど、基本面倒くさがりなので、適当に文字を羅列します。

 

 と、ここまで書いて、書くのに疲れてきたので、twitterに投稿した、小説中の自分なりの名言を書いときます。


「田村カフカくん、あるいは世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ。もしほんとうに自由を与えられたりしたら、大抵の人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ」

 

 「…すべての文明は策で仕切られた不自由さの産物なんだ。…結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るんだ。それを否定すれば君は荒野に追われることになる」

 では。

授業中に当てられるのっていやだよね

 こんにちは。

 

 今回は、ついさっきの授業の話も含めながら、書こうと思います。

 

 現在、大学生なんですが、大学でも、授業の担当の教授に当てられることが、たまにあります。

 

 大勢いる中で、自分が指名されると、なんか、その場の空気みたいなものを気にしちゃいますよね。

 

 ついさっきの授業では、教授さんが、日付と学籍番号を照らし合わせて指名するので、ある程度、どのタイミングで当たるだろうな、ってことが分かっていたんですよ。

 

 午後からの授業だったので、朝起きて、youtube見て、それから必死に授業の予習(薬学物理化学)をしたんですよ。エントロピーってなんだ?なんて思ったりして。

 

 で、ある程度、万全の体制をつくって授業に臨んだのに、僕のひとつ前の番号の人までしか当たらなくて、90分間、ただ、いつあてられるかな~と集中していたのがパーになっちゃいました(笑)。

 

 まあ、余談だったんですが。

 

 僕自身、そこそこ気にしいなので、できれば、当たらずに、穏便に終わってほしいと思ってます。

 

 ただ当たって答えるだけならわかるんですが、当たった人によって、空気が違ったりする感じがするので、そういうのが苦手な人には、当ててほしくないです。

 

 と、いろいろ書いてきましたが、今日はもう終わったことなので、今、気持ちがすっきりしているので、ここらで終わっときます(笑)。

 

 では。

「放浪の旅」っていいよね…っていう話

 「放浪の旅」っていいよね…っていう話です。

 

 今、大学一年なんですが、実家暮らしということもあり、高校時代からとりたてて変わったことがないような気がしています。

 

 確かに、前よりも時間の余裕はあるんでしょうが、慣れてきたらあんまりわからないですよね。そんな中、いつか、一年ぐらい期間をとって、何にも縛られない「放浪の旅」をしてみたいな、なんて思ったりします。

 

 しかし、人生の間で、どのタイミングでそれを実行できるでしょうか?

 

 他人事のように考えると、別にいつでも勝手にしたら?なんて思うんでしょうが、自分のこととして考えると、複雑なものになってきます(ような気がします)。 

 

 僕的には、20代の後半ぐらいにそんな期間があれば…と思うんですが、それだと、大学院とかぶってしまうので、学部卒業後に、一年ぐらい、院試勉強という名の放浪の旅に出たいなんて思ってみたり。

 

 一応、資格を得られる薬学部に入ったので、その後も、薬剤師として働くんだったら、それでもいいんですが、大学院に行って、研究に従事するとなると、話が変わってきます。

 

 結局は、学生時代の長期休みを利用して、「なんちゃって放浪の旅」をするのがベストなのかもしれません。

 

 今できることは、冬休みの期間を、うまく活用することですかね。何となく、タイに行ってみたいです。

 

 では。

本を読むことって、どんな意味があるの?

 こんにちは!体感的に久しぶりすぎる投稿です。

 

 ブログを書くことって、僕にとって、目的と手段が逆になっているので、いまいち記事の内容の質とやる気があがりませんが、意外と、書き始めると、すらすらと書けるから不思議です。

 

 最近の投稿でも、ちょいちょい読書の感想についての記事を書いているので、本を読むことと僕について、現在の僕の成長段階における考えでもかけたらいいかなと思っています。

 

 本を読む理由って、何でしょうね。教養を深めるだとか、楽しいからだとか、時間の活用だとか、仕事のためだとか、さまざまな理由がありますが、普段、本を読まない人にとって、本を読むという行為は、敷居が高いなと思います(僕の考えが浅いだけかもしれませんが)。

 

 僕としては、何となく、意味がありそうだからだとか、何となく、良い趣味だなと思えるからだとか、何となくというのが大きく占めているので、とりあえず、何となくでも、本に触れたいと思うことだけで十分だと思います。

 

 最近は、海外の本を少しでも読もうかなと思ったので、無難に、「ヴェニスの商人」(シェイクスピア)を読みました。

 

 おそらく、年間40冊ぐらいなので、読書家とはいいがたいですが、よく読む作家さんを挙げるとするなら、西加奈子さんと中村文則さんと森見登美彦さんですかね。

 

 西加奈子さんと中村文則さんは、内面的,社会的に弱い立場の人々が、成長し、うまく落としどころを見つけて生きていくといった内容の本を書くので、個人的には、とても楽しめるので、おすすめです。

 

 また、森見さんの本は、独特の表現と、少し抜けている登場人物たちが、京都を舞台として書かれています。登場人物たちが、愛らしくもあり、親近感がわいて、とても面白いです。最近は、「夜は短し歩けよ乙女」が、映画化されていたりと、有名かもしれません。

 

 あと、本を読む理由として、少なからず本を読む人生と、本を読まない人生を比べた時に、前者の方に惹かれたからですかね。といっても、友達に勧められるまで、ほとんど読んでいませんでしたが。

 

 何となくと、心から楽しむって、結構差があるようですが、まずは、何事も始めてみること自体が大事なんだろうなと思います。それだけでも、十分に得られるものはありますし。

 

 では。